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福島のオーガニックコットンから未来を紡ぐ「ザ・ピープル代表 吉田恵美子さん」

福島のオーガニックコットンから未来を紡ぐ「ザ・ピープル代表 吉田恵美子さん」

こんにちは。さとゆめ編集部です。

「ふるさとの夢をかたちに」をテーマに、日本全国の地域で伴走型コンサルティングをしている株式会社さとゆめ。

今回お話を伺ったのは、「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」を立ち上げたNPO法人ザ・ピープルの理事長 吉田恵美子さんです。

東日本大震災による、風評被害や津波の塩害…様々なことが原因で遊休農地や培放棄地が増えた福島で、農業をよみがえらせたいと考えた吉田さん。そこで出会ったのが、日本の在来種であるコットン「和綿」でした。

復興の一環として始まった「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」ですが、震災からまもなく10年。福島をとりまく状況も変わってきています。転換期を迎えるプロジェクトのこれからについて、お話をお聞きしました。

福島の土地がオーガニックコットンでよみがえる

「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」が始動したのは、震災の翌年の2012年。耕作放棄地を活用するために、日本の在来種である「和綿」を、みんなで有機農業で栽培しようという市民活動として始まりました。その後、栽培したコットンを商品化するために「いわきおてんとSUN企業組合」を設立。吉田さんは、「このプロジェクトは、2つの組織の二人三脚という形で、7年間栽培を続けてきた」と言います。

「元々は代表を務めているNPO法人ザ・ピープルで、古着のリサイクル活動など、住民が主体となったまちづくりの実践に取り組んでいたんです。そして、東日本大震災が起きてからも、地域に起きた課題を自分たちなりの形で解決に向けて導いていこうと動いていました。ふくしまオーガニックコットンプロジェクトも、その一環だったんですね」

日本の在来種である「和綿」を、福島のみんなの力で育てるー震災復興という意味合いの強いプロジェクトであった「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」。しかし震災から年月が経った今、プロジェクトは転換期に差しかかっていると吉田さんは語ります。

茶色の和綿

「震災後はいろんな方に支えられ、助けてもらいながら、勢いでここまで来たようなものです。でもここからは、事業として形を整えていく必要があるんじゃないかと思っています。市民活動として意義があるという思いで進めてきたんですが、あと2年で、震災から10年を迎えます。そんな今、プロジェクトメンバーの中にも”いつまでも震災復興という切り口で外から応援いただくことに甘えていることはできないだろう“という思いが生まれてきました」

震災をきっかけに動き出した若者たち

そんな状況を変えたのが、ひとりの若者の声でした。「自分が起業して、商品の企画から販売まで請け負いたい」と、手を挙げたのです。彼は「いわきおてんとSUN企業組合」のスタッフの一人で、コットンの商品化に関わっていました。

「彼が“自分の会社を立ち上げ、商品の企画から販売まで請け負いたい。その収益を上げることで、農家さんに還元できる仕組みを作りたい”と言ってくれたんです。そんな声が上がってから、ここ1年ぐらいの間でプロジェクトの形が変わっていこうとしています」

彼が手がけるオーガニックコットンのブランドは「潮目-SIOME-」。これまでに、ふくしまオーガニックコットンを使ったTシャツや手ぬぐい、タオルなどが商品化されました。和綿ならではの柔らかな色合いが肌になじみ、環境にも人にも優しい商品です。

「これまで『ふくしま潮目』というブランド名でしたが、最近、彼が「ふくしま」という字を外したいと。福島だから価値があるのではなく、潮目というネーミングに込めた想いを商品に乗せて、挑んでいきたいということでした」

「潮目-SIOME-」の商品について、詳しくはこちら

彼はいわき市の出身で、震災前は工場に勤めていたといいます。震災後に工場がストップしている中、周囲の若者が地域のために奮闘している様子を目にしました。そして「自分も生き方を変えたい」と考え、おてんとSUN企業組合のスタッフに加わったのです。福島では震災をきっかけに、多くの若者が地域のために動き出したと吉田さんは話します。

「震災前、若者は高校を卒業するといわきを出て、都会で進学や就職をして戻ってこなかったんですね。でも震災後は、故郷を離れていた若者たちが支援のために動いたり、故郷を自分の力で変えたいと思い、戻ってくるようになりました。“町を自分たちで変えよう”とイベントを仕掛けるなど、地域のなかで若者たちが動き出しているという感触はありますね」

機械化や合理化でなく、人の手で

「状況に応じて柔軟に変えながら、プロジェクトを進めていきたい」という吉田さんに、ふくしまオーガニックコットンプロジェクトのこれからについてお聞きしました。

「東日本大震災で放射能汚染が取りざたされ、地域のイメージが変わったり、怪訝な目で見られるという経験をしてきました。そこで気づいたことや学んだことをなかったことにしたくない。学んだことを活かして、未来に繋げていきたいと思っています」

震災直後は、NPO法人ザ・ピープルで培った人脈が大きな力となり、人との繋がりの大切さを実感した吉田さん。そのことから、その後ふくしまオーガニックコットンプロジェクトへ続く、一つの強い想いが芽生えたようです。

「震災後、災害ボランティアセンターで、地域外の応援に来て下さる方たちのコーディネートをしていたのですが、その中で人の繋がりがどれほど力になるかを学びました。だから私たちは、今のプロジェクトを機械化して合理化して、ということはまったく考えていません。みんなの力と想いを合わせてものづくりをして、本物の価値を生み出したい。そこは絶対ぶれたくないと思っていますね」

福島のお母さんたちの手で紡がれている、ふくしまオーガニックコットンの糸

ふくしまオーガニックコットンプロジェクトで栽培された綿花から、糸を紡ぐ道具の開発をさとゆめがお手伝いしました。また、その綿花から紡がれた糸を使ったメモリアルイベントのプロジェクト「コットン・ランプシェード プロジェクト」につきましても、企画・PR等さとゆめがお手伝いしています。

詳しくはこちら

福島で育んだオーガニックコットンを糸に仕立てる「糸紡ぎの道具」

福島にオーガニックコットンのあかりを灯す「コットン・ランプシェード プロジェクト」

 

「みんなが想いを持って頑張っているのだから、栽培を続けられるようにするのが私の務め」と語る吉田さん。

「今後は、環境に負荷をかけない形でコットンを栽培し、売り出していく取り組みを作りたいと思っています。これは未来の社会を維持していくために必要なこと。その気づきを私たちが発信して、次の世代の子どもたちにいい社会を手渡してあげたい。その道筋をきちんと作ってあげられたら、と思いますね」

いきいきと語る吉田さんの瞳は、まっすぐに未来へと向いていました。福島で蒔かれたオーガニックコットンの種は、地域への想い、人の繋がりと共にすくすくと育っています。

NPO法人ザ・ピープルHP:https://npo-thepeople.com/

いわきおてんとSUN企業組合HP:http://www.iwaki-otentosun.jp/

記事/さとゆめ編集部