こんにちは、さとゆめ編集部です。
「ふるさとの夢をかたちに」をテーマに、日本全国の地域で伴走型コンサルティングをしている株式会社さとゆめ。
今回は、代表取締役社長の嶋田さんにお話をお聞きしました。
幼少期を海外で過ごし、日本を外から見ることで、なんとかしたい、と感じていた嶋田さん。どんなきっかけで起業を決意したのでしょうか。創業の話やこれからについてお話いただきました。
美しい日本の風景を守りたい
嶋田さんがさとゆめを創業するに至るまでは、幼少期の思い出が深く関わっています。小学校入学から中学卒業までの9年間、父親の仕事の関係でタイとインドに住んでいた嶋田さん。その時に味わった2つの原体験が、さとゆめの起業へと繋がっています。
「まず1つは、タイって熱帯雨林のイメージがあるじゃないですか、でも実際はほとんどないんですね。私はバンコクに住んでいたんですけど、都市部にはビルが立ち並んでいて、郊外には赤茶けた大地が広がっていて。その光景に子どもながらに違和感を感じました。
実際は、昔はタイも熱帯雨林に囲まれていましたが、先進国の木材会社や製紙会社が木を伐採し、そのあとに再植林でユーカリやアカシアとか成長が早い樹種を植えていたけど、全然森が復活していないんです。それが日本の製紙会社だったりして。どうにかしたいと思いました。
もう1つは、アジアの国の人たちって日本が大好きで、そして多様な文化や国民性などを尊敬しています。でも日本に帰ってきてみたら、日本人が全然自分たちの国に自信を持っていなかったんです。」
この2つの原体験を心に残し、高校1年生の頃、千葉に帰ってくることに。でも、自分の思っていた日本と違う、もっと理想としている日本があるはず、と思い、大学進学を機に京都へ行き、そこで思い描いていた日本を見つけられたのだとか。
雲ヶ畑集落
「京都の鴨川の源流に位置する雲ヶ畑集落というところです。その地に出会い、ついに理想としている日本を見つけた、ここに住みたいと思うようになりました。
そこで林業を手伝ったりしていた中で、日本にはこんなに森があるのになんでタイに伐採しに行くんだろう?と考えたんです。 その理由は、日本の林業がうまく行っていないから海外に行くんだ、だったら日本の林業をなんとかしなきゃいけない!と、そこで興味が海外から日本に向きました。」
山仕事サークル「杉良太郎」での活動
「雲ヶ畑集落に大学・大学院時代の6年間通っていて、その間、木材価格が低迷して林業はますます衰退し、林業を辞める方々が少なくありませんでした。さらには、木が売れなくなると、山、つまりは土地が売り出されるような状況になってしまって、鴨川上流の川べりの平たい土地に、産廃置き場がいくつか出来てしまいました。
そういう地域の現状を間近で見ていて、自分の非力さを痛感しました。」
地方が置かれている厳しい現状を肌で感じ、雲ヶ畑集落のような美しい日本を守りたい、と思い、その後地域計画・環境保全のコンサルタント会社に入社。新しい部署の立ち上げや企業のCSR、農山村の振興計画の立案など、主に自治体との仕事を担当していた中で、一つの道筋が見えてきたようです。
「自治体で地方創生の企画などをした後、3年か5年くらいしてくると、自分の作った計画がどうなっていったかがわかるんですけど、結構実現していないことが多いんです。企画通りにいかないどころか、動いていないこともありました。
計画ばっかり作っていても美しい日本の風景は守れない…そんな想いから、計画した後の工程まで支援できる会社 さとゆめが出来上がりました。私を含めた4人の創業メンバーも同じ想いを持っています。
このスタイルは、手離れも悪いしリスクもある。でも、そこまでやらないと地域活性のコンサルタントとは言えないと思うんです。」
さとゆめは、一気通貫の“伴走型コンサルティング”をモットーに掲げています。
例えば、お店にお客さんが来るようになって初めて売り上げが生まれて、雇用が生まれて、産業が生まれて、そして初めてその地域に住む人が生まれます。ビジョンづくりから商品開発、販売の過程、そしてその先も。地域と共にゴールを目指し伴走を続けることが、日本の風景を守ることに繋がります。
地域と二人三脚で歩む
さとゆめ立ち上げの頃からお付き合いが続く、山梨県小菅村。奥多摩と県境のところにある、人口700人くらいの多摩川の源流の村です。
道の駅の運営を始め、様々なイベントや商品開発を共に行っている小菅村のこれからとは。
道の駅の運営だけでなく、商品開発なども行なっている
「小菅村の今後の人口推移をシミュレーションをすると、これからどんどん人口が減っていってしまうことがわかります。それをなんとかしないといけない、と小菅村の村長がリーダーシップをとって、なんとしても700人の人口維持する、という意欲的な目標を立てたんです。
そのために、“関係人口”を増やすというコンセプトで計画を立てました。今までは観光客や移住者を増やそうというものでしたが、その観光客と移住者の間の人口(関係人口)を増やす計画です。
分数村民制度とも呼んでいて、住んでいる人だけが村民じゃなくていいんじゃないか、というものです。仕事で小菅村にくる人は“1/2村民”、観光でくる人は”1/3村民”のように。そうやって、いきなり“1/1村民“として移住してください、ではなく、徐々に村に愛着をもっていってもらえればと思っています。」
実はここ3年くらい人口が増えているんです、とお話しいただいた嶋田さん。小菅村とさとゆめが、様々な取り組みを共に進めて行くことが着実に未来へと繋がっているのは、嶋田さんご自身の幼少期の原体験や学生時代の悔しい想いがあったからこそなのだと感じました。
地域も会社も同じ。一人一人の人生をサポートする
様々な地域づくりに携わってきた嶋田さんのこれからについてもお話を伺いました。
「地域づくりも会社づくりも同じだなと思います。1か0じゃなくて、もっとグラデーションでいいと思っています。
例えば、月に1回訪れるだけでも地域にとってはありがたいですし、移住しなくても通って働いてくれるのでもいい。その人にとって無理のない形で地域に関われる、そんな世の中になれば。一人一人の人生をサポートしていく、それでいいんじゃないかと思います。」
「さとゆめも同じで、地域のために何かしたい、という想いがあれば社員じゃなくても、プロジェクトベースで手伝ってもらっています。そこで培ったノウハウを自分のふるさとで生かしてもらったり、別の企業で培った技術をさとゆめで生かしてもらったり。1/1社員だけでなくていいと思います。それらみんなで地域を盛り上げていきたいと思います。」
幼少期の海外での原体験、そこで感じた外から見た日本。そして、大学時代に肌で感じた日本の地域の課題。それらをなんとかしたい、という想いから様々な行動を起こしていった嶋田さん。嶋田さんと地域、その周りでは次はどんなことが始まるのでしょうか?これからがますます楽しみです。
記事/さとゆめ編集部