美しい森の中を進む、馬と人。かつての日本では、当たり前だった風景の一つです。
時代の変遷により、今や見ることのできないその原風景を取り戻すべく、長野県信濃町「アファンの森」で、新しいプロジェクトが始まりました。
「ホースプロジェクト」『忘れかけた日本』を探して。
そんな懐かしくも新しい未来へ向けて動き出したプロジェクトについて、作家、探検家として知られている、一般財団法人 C.W.ニコル・アファンの森財団 理事長のC.W.ニコル氏に、ホースプロジェクトを始めるきっかけや想いをお話いただきました。
憧れた日本の美しい自然を守る
約55年前に日本を初めて訪れたニコル氏。それまでは、カナダ水産調査局北極生物研究所の技官として、海洋哺乳類の調査研究にあたり、その後エチオピア帝国政府野生動物保護省の猟区主任管理官へ就任し、シミエン山岳国立公園を創設して、公園長を務めるなど、様々な自然環境に身を置き、唯一無二の経験をされてきました。
日本を訪れたニコル氏は、その美しい自然と共に生きる人々に憧れを抱き、1980年に長野県信濃町に居を定めます。
しかし、経済重視の時代の流れにより、豊かな日本の自然は荒廃。その変わり果てた森の姿を目の前にニコル氏は、「日本の美しい自然と自然を慈しむ人々の心を取り戻したい」という想いを胸に、1986年から荒廃した森を買い取り、森づくりを始めました。
それから30年以上が経ち、長野県信濃町にある「アファンの森」と名付けられたその森は、森とそこに生きる動植物たちのために整えられています。そこには長野県で絶滅の恐れのある種59種を含め、様々な動植物がバランスを保ちながら暮らし、育まれています。
「現代の人は自然を感じる機会が少なくなってきています。人間がより自然に近い距離や状態で、森や動物、植物たちを感じて欲しい。私の生まれ故郷ウェールズには、暮らしの近くに森があり馬がいます。いつも自然を感じられる環境が身近にありました。」と、ニコル氏は話します。
森の再生だけでなく、東日本大震災で被災した子どもたちを森へ招き、自然の中で心と身体を開放する活動「福島キッズ森もりプロジェクト」や、被災地での「森の学校」づくりなど、森を生かした様々な取り組みを進めているニコル氏。今回、新たに「馬」の力を借りた日本の原風景を取り戻す活動を始められました。
日本の原風景を取り戻す「ホースプロジェクト」
『もう一度、日本の里山に働く馬の姿を。』
古くから人の営みに寄り添うようにいた馬。かつての日本では、里山で馬が畑を耕したり荷物を運ぶ光景を見ることができました。しかし、やがて馬の役割を機械が担うようになり、そしてその流れは森や山へも訪れました。機械化の進んだ現代では、その風景を見る機会はほとんどありません。
そんな今の日本の姿を見て、ニコル氏は一つの想いを胸に動き始めました。
「人間には動物と共に歩んできた歴史があります。その中でも特に犬と馬は掛け替えのない存在であり、何百年も前からパートナーとして暮らしてきました。私がかつて住んでいた場所には馬がいて、それが日常の景色でした。現代の日本ではそういった場所は限られており、その一つとしてこの場所を作り上げていきたいと思いました。」
このホースプロジェクトは、そんな日本の原風景を取り戻し、そして未来へと紡ぐ活動です。
ホースプロジェクトでは、3つの取り組みを行っています。
・ホースロギング(馬搬)
かつて日本の林業を支えていた技術の一つである「馬搬」。大型重機のための道を森の中に作ることなく、馬に伐採した木を引いてもらうことで搬出作業を行うこの技術は、森を守り、共に生きていくための受け継がれてきた先人の知恵です。
・エコツーリズム
馬の優しい瞳と穏やかな姿。触れるだけでも心がふっと軽くなるような、癒しの力を感じられます。馬との森歩き、そして信濃町の森林セラピーを組み合わせたエコツーリズム。パカパカと歩く緩やかな馬の歩調に合わせて、森の力を存分に味わえます。
・ホースファーミング(馬耕)
今は見ることができない、日本の古くからある農業の風景。そこには、重要な農業の担い手としての馬がいました。田畑を耕し、荷物を運ぶ。そして、馬からの良質な堆肥(馬糞、稲わら)は、農作物に豊かな恵みを与えてくれました。多くのいのちが紡ぐ農業の輪は、今改めて注目を集めています。
現代の日本において”馬が一緒に”何かの体験や経験をするといっても、具体的なイメージが湧くことは少ないと思います。このホースプロジェクトでの経験が、馬と人を繋ぐ一つのきっかけとなることで、人間が本来必要としている”安心”を肌で感じることができるのではないでしょうか。
穏やかで人懐こい、茶々丸(左)と雪丸(右)
現代だからこそ必要な自然と馬との関わり
これまで森の再生に始まり、心の再生に取り組んできた、ニコル氏。その取り組みは今、地域の創生に展開しています。
働く馬のいる美しい日本の原風景を取り戻し、里山の文化の再生、そして地域の活性化に繋げる「ホースプロジェクト」。便利な世の中になった現代だからこそ、その懐かしくも新しい景色は、私たちの心の豊かさに必要不可欠なことのように感じます。
また、信濃町に訪れる人だけでなく、地域の方と馬がもっと関わる機会を増やし、馬が暮らしの一部として親しまれるような活動も行なっています。
被災した子どもたちの心を森で癒し育む活動「福島キッズ森もりプロジェクト」でも活躍している、ホースプロジェクトの馬たち。馬と触れ合うことの少ない今の子どもたちにとって、かけがえのない大切な思い出となっていることでしょう。
「『馬との共創』で進歩し、暮らしてきたかつての私たちの生活や文化を、改めて自分たちで創り始める。このような機会を大切にしていきたい。」そんな想いを感じる、ホースプロジェクトでの活動やニコル氏の言葉。
森の中を馬と共に歩くひと時は、ここだけ時が止まったかのような静かな感覚が味わえます。今後さらに発展していく文化や文明の中、そのひと時に触れてみるだけでも、この場所を訪れる価値があるかもしれません。
かつて、親密であった馬と私たちの暮らし。ホースプロジェクトを通して、馬に触れ、その優しい眼差しや温もりを感じながら、「こうやって一緒に過ごしていたのかな」と当時の生活に思い馳せてみてはいかがでしょうか。
きっと、忙しない日常でぎゅっと縮こまった心をそっと解く、温かなひと時となりますよ。
C.W.ニコル氏 HP:http://www.cwnicol.com/
アファン ホースプロジェクトHP:https://afanhorseproject.jp/>
記事/さとゆめ編集部