さとゆめ

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“形にすること”にこだわり結びついた4人が興した“さとゆめ” 「さとゆめ 武井裕之」

“形にすること”にこだわり結びついた4人が興した“さとゆめ” 「さとゆめ 武井裕之」

こんにちは。さとゆめ編集部です。

「ふるさとの夢をかたちに」をテーマに、日本全国で地方創生の伴走型コンサルティングをしている株式会社さとゆめ

今回ご紹介するのは、さとゆめ取締役会長で創業メンバーでもある武井裕之さん。創業メンバー4人の出会いや共感したポイント、さとゆめ創業を手助けした理由などお聞きしました。

■「地域のために」と入ったシンクタンクで感じたジレンマ

まずは武井さんのバックグラウンドからお聞かせください。

「大学では都市工学を学び、観光を専門とした研究室に所属していました。卒業後は総合シンクタンクに就職し、リサーチ部門で国土計画や国土政策を中心に携わっていました。『地域に資する仕事をしたい』と思っていたのです。」

しばらくして大学院に戻られたと拝見しました。

「はい。当時、国から依頼される調査案件は予算取りのための案件も多く、数百ページに及ぶ資料をまとめてもそこで終わり。自分が描いたプランや調査が実際にどう形になったのかを見ることができなかったんですね。そのことに、消化不良、ジレンマを覚えるようになって。大学院に戻り、長野県信濃町の『黒姫ライジングサンホテル』のオーナーを経験しました。そこでさとゆめ創業メンバー4人が出会ったんですよ。」

■「物理的な形を残す」ことにこだわるメンバーに共感した

ぜひその出会いから創業までを聞かせてください。

「信濃町で森林セラピーを広めるプロジェクトに取り組むことになり、4人がそれぞれ別の立場で関わることになったのです。私は地域の運営委員、そして、コンサルタントで来ていたのが現・社長の嶋田俊平、学識サイドから関わっていたのが信州大学教授の中嶋聞多、そして役場の職員だったのが浅原武志です。

プロジェクトが終わってしばらくして、『地域のためになることを東京で始めたい』と3人に相談されたんです。それで、ちょうど持っていた休眠会社を彼らに託しました。」

当時すでに別の会社も経営されていた武井さんがさとゆめ創業を手伝おうと思った理由はなんだったのでしょうか。

「若い人を応援したいという気持ちはありましたね。でも一番は、彼らが志向していた『物理的に形にできる会社』に共感したことです。シンクタンクの経験で、私もそこを大切なポイントと捉えていましたから。

7期を迎えても創業メンバー4人が欠けることなく続けてこられたのは、このビジョンでの結びつきが強かったからだと思いますね。『“ふるさとの夢”ってなんだ』『“かたちに”ってなんだ』『“伴走型”ってなんだ』って当時徹底的に議論しましたから。これらの軸を社名にも込めたことで、迷ったときに立ち返る指標にもなっています。」

■専門性が異なる4人だからこそここまで続けてこられた

とてもいい関係性を築かれているのですね。

「それぞれのバックグラウンドや専門が違うからこそうまくいっているのかもしれないですね。

今地域人材の育成に取り組んでいる中嶋は、学識面は強いですし人脈も多い。長野支社長を務める浅原は元役人として地域や役場の気持ちを理解できますし、長野県知事からの信頼も厚い。彼の人柄や行動力は素晴らしいものがあります。嶋田は、とにかくこの仕事が好きで邁進しています。ちゃんと休んでいるかって心配なくらい(笑)。それから発信力は随一です。私はというと、会社経営の面で彼らより経験があります。そこに社員たちが加わって、さとゆめはここまできました。」

これからのさとゆめをお聞かせください。

「私たちが地域の在り方を決めるのではなく、起点は『ふるさとの夢』です。5年前に今のさとゆめが想像できたかというと、そうではない。地域と接する中で、彼らの願いや夢を叶えようとやってきたことで、コンサルティングと実業面を両立した今の事業形態が生まれています。

平成初期には3,000以上あった市町村も、今では1,700程度。村納めという言葉もありますが、合併が進めば個々の文化は消失してしまう。理想は自治体が今の個性を持ったまま自立・自走できること。我々はそれに貢献できるよう努めていきます。」

創業メンバー4人、それぞれが専門性をもって同じ目標を目指したからこそ今のさとゆめが生まれたこと、そしてお互いに信頼しあっていることがお話からも伝わってきました。

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記事/さとゆめ編集部